ハリーのしっぽ >

2008年5月27日 02:04

歩。

2008:05:27:02:04:28

嵐。
倒。
---

【5月23日:金曜日】

★AM9:01
母は昨夜2時過ぎ、体調不良で病院へ運ばれたとこのと。血圧が170まで跳ね上がり、意識が朦朧としていた。拒食ぎみで寝不足、神経疲労が原因で、安定剤をもらって帰ってきた。とりあえず無理してでも食べるように、そして眠るように、と電話で促す。父はこのことを知らない。

★AM9:10
電話を切って数分後、「お父さんのこと話してなかったわ」と叔母から電話。昨日の夕食からゆるいお粥を食べられるようになったとのこと。ただ今朝になってひどい下痢をしているので、安心は出来ない。
それと、叔母は月曜に帰る予定だったが、急遽日曜に帰ることになってしまったと言う。

★AM11:20
埼玉の叔母(母の2番目の妹)から電話。姉ちゃんに電話したら大変なことになっていたので、私、日曜に姉ちゃんのとこの行くから。と。

★PM14:40
東村山の叔母(母の3番目の妹)から電話。私も日曜に行くから、父さん母さんのことは心配しないで。と元ナースの心強い言葉。父と僕、男どもは結局たくさんの力強い女性に支えられている。感謝。

★PM18:30
実家へ電話。未だに眠れないもののちょっと元気になってきた、と母。「お父さん、ちょっと歩き始めてたわよ」。

【5月24日:土曜日】

★AM6:10
電話が鳴る。電話が鳴るたびに、何かあったんじゃないかと不安になる。
「早くにごめんね」、母からだった。
「夜中3時過ぎに病院から呼ばれたの」。父が、痛み止めが原因で幻覚を起こしていて、ヘンなことを言いながら1人で歩いているところを看護師が見つけたとのこと。まさかモルヒネ使ってんの!?と母に聞いてもわかるわけが無く、今は「一時的なものですから」という医者の言うことを信じるしかない。

★PM17:10
母へ電話。父は元に戻って落ち着いているものの、いまだにひどい下痢が続いているとのこと。微熱。

【5月25日:日曜日】

★AM8:30
「お父さん、今日から全粥だって。下痢も止まったわよ」、母から電話。

★PM14:50
叔母(父の妹)と入れ替わりで、母の2人の妹が到着。

【5月26日:月曜日】

★PM13:00
母へ電話。24時間の点滴が外れたとのこと。血液検査の結果がまだ出ない。遅すぎる。

★PM16:45
父から電話。公衆電話まで歩けるようになった。「無理して来なくてもいいぞ」。何言ってんの?お父さんじゃなくてお母さんが心配だから行くんだよ。「わわわ、笑わせんなって。痛ててててて」。笑って、早く元気になって。

【5月27日:火曜日】

★AM1:45
これを書いている。
 ↓
 ↓ <-----今ここ。
 ↓
★AM4:00
駅へ向かう。

★AM11:00過ぎ
到着後、その足で病院へ。
いつ東京に戻ってくるかは未定。

2008年5月26日 22:40

倒。

2008:05:26:22:40:43

嵐。
---

【5月20日:火曜日】

★AM11:26
母から父の状態を聞きながら病室へ。今は全身麻酔から醒め、ゆっくりと話せるようになってきているとのこと。発熱、感染症のリスク、大。その時は覚悟を決めてください。とは医師の見解。

★AM11:27
病室。ベッドの上の状況に絶句。驚くほど小さく見える父。何本もの管が繋がれ、かすれ声でやっと話せる状態。来たよ、と声をかけると「悪いなぁ。...ブランドンは?」 おい、1人息子では不満なのか? 「いやぁ、そんなわけじゃないけどさ」と痛みをこらえながら笑う父。横で涙を浮かべている母の姿は、目が悪い父には見えない。

★AM11:30
名古屋の叔母(父の妹)が到着。どうやら同じ電車に乗っていたらしい。

★PM12:20
「無事カエル、って意味だってよ」。ブランドンから渡すよう頼まれたカエルの置物を、ベッド横のテーブルに置いて帰宅。
(GW、国に帰っていたブランドンが、父へのプレゼントとして買ってきた物。帰国当初、「このカエルを見たらお父さんのこと思い出して買っちゃったんだよねー」と言って笑っていたものが、こんなカタチで父の手に渡ることになるとは。予感めいた不思議な話。)
この病院は完全看護なので、付き添いは禁止されている。

★PM18:00
1人で再び病院へ。母が知らない銀行関係等のやりとりを確認。微熱があり、看護師に相談するも「本人が暑いんでしたら冷やしますし、どちらでもいいですよ」と適当な返答。氷枕を用意してもらう。

【5月21日:水曜日】

★AM10:00
口の中を拭く滅菌ガーゼ他、諸々の買い物をした足で病院へ。父、今朝から起き上がってベッドに座る練習を始める。熱は下がったが、管は全部繋がったまま。痛みで歩くことはまだ無理。点滴が時間通りに落ちていないことに気づきナースコール。態度の悪い看護師にストレス。

★AM11:20
クロモジの木だと思う。父の趣味の土地へ。前日の暴風雨で、若い木が数本倒れていた。GWに一緒に植えたマユミの木は無事。
温室の花々に水をやりながら、「水やりや草むしりをしてると、余計なこと全部忘れて無心になれるんだよなぁ」という父の言葉を思い出す。1人で泣いたのは久しぶりだと思う。

★PM17:00ちょっと前
山の帰りに病院へ。17:00で終わる予定の点滴がまだ3分の2も残っている。ナースコール。「ここ、呼んでもすぐ来ないよ」という父の言葉通り、何分待っても来る気配なし。病室を見てまわると、全て満床。飛び回る看護師の姿を見る限り、あきらかなマンパワー不足。
やっと来た看護師に、この点滴の説明を求める。「手首からの点滴は、手首を曲げたりすると針が血管に当たって点滴が入っていかなくなっちゃうんですよねー。」 だったら違うところから入れてください。(完全看護だろ?ここ。という言葉が出かかるが我慢。)

★PM19:25
帰宅。叔母は月曜に帰るということなので、僕は明日一度東京へ戻り、来週また来ることに。

【5月22日:木曜日】

★AM10:00前
家を出る。「たいしたご飯用意できなくてごめんね。。」、気丈な母らしからぬ弱気な言葉。顔色が悪い。

★PM17:00
東京の自宅へ戻る。帰宅したブランドンに状況を報告。

【5月23日:金曜日】

★AM9:00
父の今朝の様子を聞くため、実家へ電話。すると母ではなく叔母が出る。
「お母さん、昨日夜遅くに倒れちゃって病院に運ばれたのよ。」
2008年5月25日 22:30

嵐。

2008:05:25:22:30:29

マイナスにプラスがくっつくのは、科学の世界の話。
気持ちのマイナスには、同じマイナスが近づいてくるらしい。
あんなくだらないこと考えたからこんなことになったのか、と腹が立つ。

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【5月15日:木曜日】

★AM9:30頃
「お父さんがずっとお腹を痛がっててさ、今朝5時くらいに病院に連れてったの」。 母からの電話。膵炎の疑いもあるが、神経性の可能性もある。ということで薬が出されるわけでもなく、安静にしていてください、と戻されたとのこと。神経?そんなの素人だって言えることでしょ、もう一度ちゃんと診察してもらったら?と電話ごしに叱りつけるも「でももうちょっと様子を見ましょう、って先生が言うからさ。お父さんも、またひどくなったら行くって言って、今は家で寝てるのよ」と母。じゃあお大事に。と電話を切る。嫌な予感。

【5月16日:金曜日】

★AM10:00
様子はどうか電話をしてみる。とりあえず安静にしていて、ただ痛みはずっとあるとのこと。食欲が無く、お粥を続けている。

【5月17日:土曜日】

★PM15:00過ぎ
「お父さん、ちょっと良くなってきたみたい」。母から電話。ずっと寝てるとあちこちの関節が痛くなるなぁ、と笑いながら父。

【5月18日:日曜日】

★PM21:40
「お父さん、ものすごく痛がって脂汗がひどいから明日また病院に連れていく」と母。今すぐ行くように言うも、神経性のものだし朝まで我慢できる、と言い張る父。

【5月19日:月曜日】

★AM5:30
父と母、タクシーで病院へ。あまりの痛みに呻き声しか出ない。

★PM14:20
「聞いて。お父さん、18:00から緊急手術になってしまったから」。母から電話。無理に落ち着いているような声。来れる?と聞かれても今からでは実家行きは間に合わないので、明日朝一番で向かうことに。とり急ぎブランドンへ状況をメール。

★PM17:30
「今手術が始まったとこ」。母から電話。予定より30分早い。

★PM18:50
「お父さん、もうダメかもしれない…」。弱々しい声の母から電話。切開と同時に胆嚢が爆発。母、手術室から飛び出してきたスタッフに、危険な状態だからと輸血の同意書にサインを求められる。

★PM19:15
ブランドン帰宅。僕を励まそうと、大丈夫、絶対大丈夫だから、そう言いながら、肩を震わせる。無理を承知で「一緒に来れる?」と聞いてしまったことを後悔。彼は今、どう考えても仕事を休める状況には無い。行きたくでも行けない状況に、最もイライラしているのは彼自身。

★PM21:45
「手術、終わったから」。母から電話。やるだけのことをやって、とりあえず腹を閉じた。という、依然危険な状態。

★PM21:50
新幹線を予約。実家へ帰る仕度を始める。眠れない夜。

【5月20日:火曜日】

★AM4:00
豪雨の中、駅へ向かう。

★AM9:12
乗り換えの駅にて「こっちもひどい暴風雨だよ」とブランドンへ写メ。そんな報告を待っているわけではない、ということを知りつつ。自分でも意味がわからない。 …

★AM11:25
病院へ到着。うっすら涙を浮かべた母が、嵐の中、入り口前で待っていた。
2008年5月23日 21:23

ドタバタ失礼しております。

2008:05:23:21:23:11

ブログから離れますとか言っときながら、
その数日後あっさり更新してるわけですが(唖然)。

その時思ったことを正直に書いたとある記事が
突然大きな意味を持ち始めて戸惑っています。
重ねてえらいバタバタしてまして、ただ今先が読めない状況にあります。
えーっと。とりあえず帰省録はこれで〆て、ごめんなさい、その後の対応もちょっと出来そうにないので、コメント機能のほうも一旦切らせていただきますね。
この先、日曜、月曜と更新する予定で、その後は今度はホントにしばらくブログから離れます。たぶん、今度こそ一週間くらい。

そこ、ホントかよとか言わない。

2008年5月23日 16:56

帰省録0804【5-2】:父との時間。

2008:05:23:16:56:54

群生を発見。

父と歩く、春の山道。目が悪い父に代わり、僕が父の目になって、子供の頃からこうして一緒に山道を歩き続けています。何が面倒くさいってこの人、目が悪いのにやたら小さいものが好きで、特に山野草へのこだわりは大変なもの。色はわかるみたいなんですね。なもんだから、僕は常に下や横に忙しなく目をやって、父のかわりに見つけだすんです。見つけられないとそれはそれで悔しいのでね、こっちも必死ですよ。

それなりに収穫もあって、じゃあそろそろ戻ろっか、と2人で向かったのは家ではなく、山の中腹にある父の趣味の土地。誰も欲しがらないような不便な土地を譲り受け、20年近くかけて一人でコツコツと手を加えてきた(父にとっては)楽園のような場所です。目が悪いので、文字通り「手探り」で手入れを続けてきました。怪我もしたし、真夏の暑さにやられたりもして、親戚中から「何やってんだか」と呆れられたりもしてけれど、蓋を開けてみればそこは、今では500種を超える木々草花が咲き誇る、それはもう見事としか言いようのない「絶景」。その片隅にある手作りのウッドテーブルと椅子に座り、母に作ってもらったお弁当を食べます。いいね、お父さんは一年中遠足みたいで。なんて笑いながら。

ここには滝もどきがある。

男同士の会話。と言うにはちょっと骨太感が無いのだけれど、2人だけで話す時間はやっぱり…なんとなく腹を割ってる部分があるかもしれない。きっと母は知らないような込み入った話も、ここ10年くらいでグッと増えたような気がします。家のこととか、借金のこととか、母との老後のこととか。正直、若い頃は「そんな話聞きたくないよぉ」なんて言って避けてたものでしたが、今では一緒に整理するように聞いてるから不思議なものです。僕も歳をとってきた、ってことなんでしょうか。話をしては風に揺れる木々の音に耳をやり、ぼんやり花を眺めてはまた話しだす。そんな時間がゆっくりと過ぎていきます。

デザイン、ハリー。制作、父。

「どれ、じゃあ木ぃ植えんの手伝ってもらうかな」。そう言って立ち上がる父の後をついていくと、そこには待ってましたとばかりに小さい木が横たわっています。これ、なんて木? 「マユミ(檀)ってんだ」 初めての木? 「いやぁ、もう1本あっちのほうにあるけど」 じゃあもぉいらないじゃんよ(苦笑)、みたいな会話をしつつ、強制的に土木作業が始まります。何よここ、木の根だの岩だの大変なことになってんじゃないのよ(泣)。偉い人の植樹祭みたいにチャチャっと上から土をかぶせるのとは全く話が違うんだなこれが。

宮澤賢治の世界だね。

こういう作業ってのはホントに…あれだね。すごいね。普段ブランドンが読んでる雑誌には「上腕二頭筋」だの「大腿筋膜張筋」だの、個々の筋肉の鍛え方がいろいろ書かれてあるけれど、スコップを持った作業はもう、筋肉の外側も内側も全部使う全身運動なのね。そりゃあガテン系はあんなふうになるわけだ。

などとヘンな関心をしつつ、全然無い筋肉で悲鳴を上げながら作業を続けること40分弱。やっと所定の場所へ植え、まだ小さい木を2人で見下ろしながら達成感に浸ります。やっと終わったねぇ。

マユミの木。

どんな花が咲くの?って言うかなんでこの木なの?といろいろ話ながら後片付けをして、最後にまた2人でこの木を見下ろすと、父がさっきまでの会話と同じ口調でサラっと一言。

「大きくなったこの木を見ながら、あぁ、オヤジと植えた木だったなぁ、なんて思い出すんだべなぁ」。

そうだろうねぇ。
それが僕の返事。そんなこと無いよぉ、まだまだ長生きしてよぉ、なんて言うのがひょっとしたら普通なのかもしれない。けど、僕の素直な返事はこれでした。
なんとなく、いつか来るその時を思い、覚悟は出来ています。実際にその時が来たら、また違う感情でオロオロするかもしれない。でも、今は。

人知れず、苦労の多い父でした。そのぶん今は好きなことをやって、後悔の無いように生きてほしい。そういう父であったなら、きっと笑顔で送れるはず。

なんちゃって。実は現実から逃げているような、怖いから無理に自分へ気合を入れてるだけのような。よくわかんないや。


父の、さっきの言葉を思い出しながら。
僕は光のほうを見上げるのでした。

2008年5月22日 17:39

帰省録0804【5-1】:さっきの言葉。

2008:05:22:17:39:50

誰の言葉?

2008年5月20日 03:05

帰省録の途中ですが。

2008:05:20:03:05:59

昔、中島みゆきがオールナイトをやめる理由として「生放送のフリをして録音したものを流すことが増えるかもしれない。それが嫌。」と言っていました。そんなことないよぉ、録音でもいいから放送続けてよぉ。そう心から願った、高2の春休み。どうも16歳の頭には理解できなかったみゆきスタイルでした。

えっと。ただ今GW中にあったことや感じたこと、思い出したことをツラツラとアップしていて、予定ではそれを今週土曜まで続けるはずでした。が、ちょっとした事情でいったんブログから離れます。実は記事自体はもう書いてあるので、投稿予約みたいなカタチで順次アップしていけば傍目には何も問題ない話なのだろうけど、そこで思い出したのが、みゆきのあの話。あー、なんか今ならわかるかもしれない。自分が居ないところで自分の影だけが動いているのは、やっぱり何かひっかかるものがあるみたいです。

ということで、来週からまた再開できるかなーとは思っていますが、どうなることやら。
ではでは。急な話ですが、
カリフォルニアに行って結婚してきまーす♪

2008年5月20日 02:30

帰省録0804【4-2】:田舎時間。

2008:05:20:02:30:41

中学から高校にかけて、不思議な関係を続けた同級生がいて。
陸上部で毎日砲丸を投げている彼は、もちろんスポーツは得意で背も高くて、帰宅部でヒョロヒョロな僕とはそもそもの世界が違う感じの人でした。同じクラスとは言えお互いにつきあう友達も違うから、目に見える接点らしい接点も無く。今思えば、みんなの前で話したことなんて無かったかもしれない。と言うか、人前では話さないよう、なぜかお互いに気をつかっていたようなところもありました。

中2の、夏休みが近いある日のこと。体育が自習、というまるで「遊べ」と言わんばかりの状況に乗じて校庭で野球を始めるみんなの目を盗み、僕は一人教室へ。すると、少し遅れて彼も教室へ。「よっ。」、うん、みたいないつものやりとりの後、ずいぶん離れてる自分の席に各々座り、どちらからともなくポツポツと話し始めます。

「オレさ、来週から新聞配達始めんだよ」

聞けば、彼が配達するのは地元のペラッペラの夕刊。じゃあ、うちにも来んの? 「行くよ。」 そーなんだ、すごいね。 「たぶん夜6時くらいだ。」 へー。

そして話のとおり彼は、翌週から僕の家へも配達にやってきました。夜6時くらいに自転車でやってくるのを、僕はいつもなんとなく玄関先で待っていたりしたものです。新聞を受け取りながらちょっと話をして、じゃあね、と言って手を振り別れる。ただそれだけのことだったけど。家の用があって待っていられなかったところで、次の日に何か言われるわけでもなかったけど。ポストの前で見せる、学校ではあまり人に見せなかったあの笑顔を、僕は今でもはっきり覚えています。

本日発売、なはずなんだけど。「ねぇ、あんた本屋に行く用ある?」
帰省してからというもの続くユルユルの生活、朝10時過ぎにノソノソと起きだしてきた僕に、母が新聞を見ながら聞いてきます。
無いよ。そう答えて座る僕の横で、
「骨盤体操って流行ってんのかしら?この雑誌にも、ほらこっちの雑誌にも特集で“これで痩せる!”だって。これ今日発売だってさ。買って来て。」

さっき、本屋に行く用は「無いよ」と答えたはずでしたが。
ご飯食べなさい、とキッチンへ立つ母。準備するから行ってこいってことか。上膳据膳もそう甘くはないらしい。

しぶしぶ本屋へ行き、その雑誌を探すもなぜか先月号しかありません。「無かったよー」で納得する母ではないので、仕方なく店主に聞いてみる。今日発売の雑誌はありますか?すると店主、真顔で一言。

「今日発売なんで、明日発売です」。

事情を知らないとこれはとてもおかしな日本語なのだけれど、つまりは

「今日発売と言っても、ここは田舎だから1日遅れて入ってくるんですが何か?」

という意味なわけです。そうだ思い出した、昔からそうだったそうだった、全部1日遅れだったねそう言えば。こんなに流通が発達していても、時差は全然変わってないんだなぁ。一応、と思って違う本屋へ行ってみたけれど、やっぱり無いものは無い。ふぅ、また明日来なくちゃいけないのね(涙)。

家へ帰り、母へ報告。あらごめんなさいねー、ほら飲みなさい。と出されたお茶を飲み、時計を見ると1時ちょい過ぎ。庭のレンガ、途中だったからやろっかなぁなどと考えていると、外でカタン♪とポストの音が。あ、と言っても立つ様子が無い母を横目にポストへ郵便を取りに行くと、出てきたものは郵便ではなく新聞。何!あの同級生が配達してた新聞、今はこんな時間に届くようになったの!?
一体どこが夕刊なんだ。しかも内容って言ったって急いで伝えねばならない記事など何も無くて、母が真っ先に見るのも「死亡欄」だし(苦笑)。あらぁ~、亡くなったの、由紀ちゃんの兄さんの別れた奥さんの旦那さんのお父さんだわぁ、、、って誰だそれ。しかもよく見ると、亡くなったのって一昨日じゃん。
田舎は、時間の流れが全部おかしい。

庭に出て、レンガを並べたり花に水をやったりと労働的なことをしていると、時間がたつのも早いもの。いつのまにか、夕方です。あの頃も、こんなことしながら同級生のこと待ってたんだよなぁ、とか思い出したりして。
彼とは人前で話すことはほとんど無くて、偶然2人になった時にだけいろんな話をしたんだっけ。彼には友達がたくさんいて、教室ではいつもガンダムの話や中学生特有の(かわいい)エロ話とかでワイワイやっていました。彼はいつもその真ん中で威張っているリーダー格。なのに僕と2人でいる時は、打ち明け話が多かった。実はオレ養子なんだ、とか、だから早く大人になってここを出たい、とか。口止めされたことは一度も無かったけれど、雰囲気がいつも秘密話っぽかったので、僕も誰にも言わずにいたんだっけ。

…とここまで思い出して、ふと浮かぶ疑問。偶然2人きりになった時間、あれは本当に偶然だったんだろうか?雨降りの日、1人で歩いている僕の傘に後ろから飛び込んで来たり、放課後1人で教室にいると、忘れ物したと言って入ってきたり。そう言えば保健室で寝てる時にも彼が来た。僕が「図書館が好きだ」と言った頃から、図書館でばったり会うことが増えた。
僕は、彼のことが好きだったんだと思う。好き、って言葉はなんだか正確ではないような気もするけど、誰も知らない、2人でいる時間の積み重ねは確かに好きだった。もしかしたら、彼もそれを知っていたかもしれない。と言うか、同じキモチでいてくれたんだろうか。

そんな誰も知らない不思議な関係も、彼が高校を中退して町を出て行ったことで終わってしまいました。2人で自転車を押しながら帰った最後の日、「もうこれいらないから」と言って渡されたシューズの紐。あれは…どこにしまったんだっけ。

きっともう会うこともないだろう彼を思い出しながら、
  あの時、もっと自分のキモチを整理して、
  ちゃんと伝えることが出来ていたら。
  その後どうなっていたんだろう。
なんてことを、なーんで今頃考えなくちゃいけないのか。

やっぱり田舎は、時間の流れがおかしい。

2008年5月19日 11:13

帰省録0804【4-1】:時差。

2008:05:19:11:13:34

時差。

2008年5月17日 13:54

帰省録0804【3-2】:小六の記憶。

2008:05:17:13:54:52

テレビで、例えばとんでもない急斜面をまるで落ちていくように自転車で降りる人とか、命綱無しでビルに登っちゃう人とか、一度死にかけたことにまたチャレンジしている人とか、ビックリ人間風に放送しています。普通に考えたらあれ、くだらないことする人もいるもんだよねー、とか思ってしまうわけだけれど、本人にも止められない何かがあるのだと考えれば、なんとなく納得もしてしまいます。本当かどうかはわからない話ですが、危険なことにチャレンジする人の細胞には、DNAベルで「高いところに登れ」とか「危ない場所へ行け」とかいう命令が組み込まれているので、それに従ってやらざるを得ないのだとかで。そんな衝動に素直に答えるか、頭で考えて抑えるか。生き方って、そういうところで変わっちゃうのかなぁ、なんて思ったり、思わなかったり。

東京ではベッドに入るとすぐ眠ってしまうのに、実家ではどういうわけか目が冴えてしまいます。…どういうわけかも何も「なーんにもしてないから疲れてない」ってのがたった一つの理由なわけで、そういう時は本棚から昔読んだ本を引っ張り出すわけです。

今話題のカラ兄(もちろん旧訳のほう)、これ、最後まで読んでなかったなぁ。
星新一、たぶん全部読んだと思うんだけど。まだ知らない話があるのかな。
ププっ、朔太郎だって(笑)。ホントに意味わかって読んでたんだろうか。
三島ねぇ…。
赤川次郎!今読んでも面白いの?

そんな、どうも節操の無い本棚に、地味に並ぶ1冊の本。

地平線から 1982

そっか、僕はこういう本も読んでたんだなぁ。
小学四年生の時、父親の友人の息子さん(当時大学生)が、サハラ砂漠をラクダで横断する旅に出ました。サハラ砂漠をラクダで7000キロ横断するという挑戦に出るも、志半ばで砂漠で渇死した上温湯隆氏の日記「サハラに死す」に影響されてのことだそうです。(←やたら説明チックで申し訳ない。) 僕はそれで初めてサハラ砂漠という存在を知り、父に買ってもらった世界地図を見ながら遠い砂漠の世界を想像していたものでした。
子供心に、心底「カッコいい」と思っていました。僕もいつかサハラ砂漠をラクダで横断するんだ!…てなことは全く思わなかったけど(笑)、誰に反対されても自分の夢を求めて旅立って行った姿は、理屈なしにカッコいいなぁ、と。その2年後にいただいたのが、半年に及んだ横断の模様をまとめた写真の本でした。小六の頭にはかなり難しい内容で、それでもやっぱり「やりたいことをやった人の哲学」みたいなものは活字からも行間からもビンビン伝わってきて、その時だったと思います、僕もやりたいことをやれる大人になろう、と決めたのは。すぐその気になる、単純な小六。って、今もそんなに変わりないか。

甘い考えには痛みも伴う、ということを知ったのはもうちょっと成長してからでしたが、人生は冒険、100%でないにしろ出来る限り正直に生きてこれて、これは両親譲りの「頑固」なDNAに感謝しないといけません。自分ひとりで生きているわけではないことに気づいてからは、人に迷惑をかけないようにという思い以上に人目が気になってしまいそうな時期もあったけれど。なんとか自分に鞭打って、乗り越えて貫いた。っていう実感はあるかな。もうちょっと…まわりから良く思われるように立ち振る舞えるだけの器用さもあったら良かったかもね、という大人な反省も踏まえつつ。ま、そんな時の積み重ねが、今の僕の全てだからね。心して受け入れましょう。

6年2組の教室で、僕は知恵熱に魘されたように、サハラ砂漠を旅する大学生の話をみんなに聞かせました。次の日、友達は笑いながら「父ちゃんに言ったら“そんなくだらないことは馬鹿しかやらない”ってさ」。僕はそういうことを言いたいんじゃないくて!といろんな角度から話して聞かせたけど、最後までわかってもらえませんでした。今思えば…なんであんな無駄なことしちゃったんだろ?と苦笑い。わかる人だけわかればいい。きっとそういう話だったんだよね。ましてや僕も相手もまだ小六。一体何をわかってたって言うんだ(笑)。
などと、読み返してるようで思い出してる時間のほうが長くて、ふと時計を見るともう午前3時。明日はきっと起きれないなぁ。

2008年5月16日 14:18

帰省録0804【3-1】:心の波に従うと。

2008:05:16:14:18:31

決して無理に踏ん張ってるわけじゃないし。

2008年5月15日 09:31

帰省録0804【2-2】:響け、訛りよ。

2008:05:15:09:31:19

昔勤めていた会社には、同郷の女の子がいました。僕は小さい頃から東京と田舎を行ったり来たりしていたせいか、言葉で困るということはあまり無かったのだけれど、彼女の訛りっぷりといったらそれはもう大変なもので、おまけに仕事が電話応対がメインの事務ときたものだから、その悪戦苦闘ぶりは気の毒なほどでした。関西のほうの言葉はもはや日常的に当たり前な感じで、言うほうも聞くほうも普通にやり取りしていますよね。一方で東北訛りは、新沼謙治やら気仙沼ちゃんやら、なんかこう、田舎っペというかダサイと言うか。しかもイントネーションもそうだけど単語レベルで言葉が違ったりするものだから、なんとなしに言った言葉が相手に通じなかったということもしばしば。えーっ!これって全国共通の言葉じゃなかったの!?とこっちが驚いてしまうこと、結構あるんです。


うちのほうでは、ゴミは捨てるものではなく、投げるもの。
ゴミを投げる。
だからゴミ収集の日は「ゴミ投げの日」
それの何が変なのよ?と思っていたのだけれど、東京の人に言わせると、それは雰囲気的に雪合戦ならぬ「ゴミ合戦」でもしてるみたいなイメージになるんだとかで、何それー!と随分笑われたものです。いいじゃん、ちょっとそこのゴミ投げといてー。

では。
「あぐどがえんずいと思ってらっきゃ靴下がかいっちゃかだったげ」。
これどうでしょ。


ある日。彼女、アベさんって言うのだけれど、口癖が「そうダベ」だったものだから、じゃあこれからはアベちゃんじゃなくてダベちゃんだ、みたいな話になりみんなに笑われていたら、いよいよ怒りが頂点に達してしまったダベちゃん、じゃなかったアベちゃん、バン!と両手で机を叩き、顔を真っ赤にして叫んだのでした。

「ん、んなごだぁ言ったっで、オラぁ!」

えー…、そ、そんなこと言われても、アタシ!って意味です。
数秒の沈黙の後、爆笑の嵐が吹き荒れたのは言うまでもありません。上手に受け流せる子だったら良かったのだけれど、真面目というか真っ直ぐというか。からかわれやすいタイプっていますが、彼女はまさにそれ。でも、誰からも愛されていた、とても気さくないい子でした。訛っていようがいまいが、嫌な人の周囲には誰も集まらないものです。(まぁ、いくら愛されキャラとは言え、本人にはツライものだけどね。)

ぐるーっと山、一部海、みたいなとこ。

裏山からの声に耳を傾けながら、そんなことを思い出していました。
春らしく、鶯が鳴いています。



ホー、ホケピキョ。



このへんの鶯、昔からちょっと妙なんです。普通、鶯といえば「ホー、ホケキョ」なはずですが、ここの鶯の鳴き声を聴いていると「ホー、ホケキョ!」と間に一文字多い。鶯、お前もダベちゃんか。

その谷で育つ鶯は、その谷ならではの鳴き方をするのだそうです。ほんとにもう…(苦笑)、鳴き声はカタカナで読む以上に間抜けな響きで、でも何の疑問も無く春を鳴くその愛らしさは、毎年この時期の楽しみだったりもします。あー、帰ってきたなぁって感じ。だから、だめよ、へんに標準語なんて覚えちゃ。鳴き方が違うよそ者は、谷から追い出されちゃうんだから。そのままで。そのままで。

東京生活の反動か、僕は帰省すると必要以上に訛っているらしい(電話では、ある程度無意識で手加減しているみたい)。母親には「あんた何でそんなに訛ってんのよ!?」とか言われちゃったりして、でもそう言うあんただって訛ってんじゃないのよみたいな。鶯と同じ。僕もこうやって訛りを伝えていくのかな。その相手がブランドンってのが、いかがなものかと思うけど。

---

ちなみに。
「あぐどがえんずいと思ってらっきゃ靴下がかいっちゃかだったげ」。
これは
「かかとがしっくりこないと思ってたら、靴下が裏表逆だったよ」
という意味です。

一体何語なんだ、って感じだね。

2008年5月14日 10:15

帰省録0804【2-1】:スローライフ幻想。

2008:05:14:10:15:26

スローライフ幻想。

2008年5月13日 11:51

帰省録0804【1-2】:庭に、謎の異邦人。

2008:05:13:11:51:44

あれを「庭」と表現したものかどうかは迷うところで、ただ詳しく説明を始めるととても面倒くさいことになるので、ここでは一応「庭」ってことで。

いつも、帰省してまず真っ先に母に連れ出されるのが、庭。毎日の手入れの成果を見せたくて見せたくて仕方無い様子で、「この花、可愛いでしょー」と言うのでその花を見ていると、横から今度は「こっちもキレイでしょー」「あ、これ写真に撮んなさいよ」「あれは友達の奈美ちゃんにもらった花よ」「これは珍しいのよぉ」「ほら、種が飛んだみたいでこんなところで増えてる」って、見せたいんならもうちょっとゆっくり見せろー!という状態になります。

花、というか色の世界。

と、ここまでが言わば、まだお客さん扱いされている短い「もてなし」の時間。これが一通り過ぎると、あとはもうただの作業員扱いです。「ブロックを買ってきて、ここ、もうちょっとキレイにしたいのよね」「寒冷紗を張り替えたいんだけど」「あそこ、錆止め用にペンキ塗ってくれない?」「除草剤を買ってくるの忘れたわ」ってなことをいっぺんに言ってくれればいいものを、思いついた時にポンポン言い出すものだから、もう何度ホームセンターと家を往復したことか。え~っ?などと言おうものなら「ブランドンくんがいてくれればねぇ」と、暗に「あんたじゃ話にならない」的な流れに持ち込まれてしまうので、やらないわけにはいかないのです。もぉ。あなたの一人息子はとても非力なんだから。のび太はドラえもんがいないと何も出来ないものなのよ。

ビール箱はなんとかせねば(汗)。

仕方なく、素直にやるわけです。ペンキ、ひっくり返しました。レンガで手も切りました。それを見て「まったくあんたは」って笑っている姿は、一人っ子の母親としてちょっとおかしいと思う。あら大変、とか言いながら急いで救急箱を取りに走るのがホントの一人っ子の母親像ってもんではないかい?小さい頃からいろんな人に「一人っ子は大事にされていいね」って言われたものだけど、過保護に育ててもらった記憶、全然無いのよね。(って今さらそんなことされてもキモチ悪いだけだか。)

それはさておき、ドタバタと騒々しい庭でしたが、なんとか静寂を取り戻したGW後半のある日。またしても庭先から「ちょっと来てー!」の声が。またですか(涙)。足取り重く出ていくと、不思議そうな顔で立っている母が。今度は何よ。

「誰?これ」

ん?指差すほうを見ると、黄色い、なんだか金管楽器のベルみたいなカタチの花が咲いてます。誰?ってこの人のこと?となんだかヘンな会話をしながら2人でしゃがみこむ。聞けば、こんな花、植えたこと無いんだそうで。あんた誰?

Narcissus

家に戻り、野草辞典をひたすらめくり続けて、あっこれだ!と出てきた花の名は「原種スイセン」。ナルキサス・ベルボコディウム・コンスピキュアスという、スペイン・ポルトガル産のちょっと微妙な響きの花は、種ではなく球根からなるものなんだそうです。植えて3年以上たたないと花が咲かないらしく、ってことはこの人たち、ずいぶん前からここにいたってことなんだろうか。母はもちろん、父に聞いても植えた記憶は無い(以上に今日の今日までそんな花知らなかった)そうで、はて?と親子三人、首をかしげるばかり。


「ブランドンくんは元気かしらねぇ」

えっと...、なんで急にその話でしょう?(汗)

「あら、だってこの人も外国の人じゃない?うちもどんどんインターナショナルって感じよねぇ♪」

ってそれはちょっと違うんじゃなかろうかと。

ただ、そうだね、彼は今頃どうしてるんだろう。花に水をやるのが大好きで、僕よりもこの庭を把握している彼のこと、この花を見たらきっと喜んだに違いない。同じものを一緒に見られないというのは、もどかしいものだな。
なーんてことを考える、最高気温27度という馬鹿みたいに暑い昼下がり。


こっちを見ろと言わんばかりに、トンビが高いところで鳴いている。

2008年5月12日 12:42

帰省録0804【1-1】:この空は。

2008:05:12:12:42:09

この空は。

2008年5月 9日 11:52

私を呼ぶの、不思議な力で。

2008:05:09:11:52:04

実はまだGW中。っていうか夏休みまでずーっとGWでもいいかも、って思うほどガラガラの仕事模様。なもんで本当はまだ実家でダラダラしていたかったのだけれど、マンションの大規模修繕の一環で「9日は朝から玄関ドアの塗装を行いますので、丸一日ご在宅ください」って言われていたものだから仕方無い、昨日、ノコノコと東京に戻ってきた次第であります。それにしても、なんでこんなに人が多いの?東京って。

ブランドンは明日帰ってきます。あの人、ちゃんと生きてんだろうか。今使ってる携帯903iはワールド対応ではなくて、機種変更するにも高いし欲しいのも無いし、かと言ってわざわざレンタルするまででもないかな…、というわけで休み中は連絡の手段がありませんでした。まぁ、むこうに居る間は問題無いっちゃぁ無いんですけどね。飛行機、落っこちちゃったらどうしよう。とか考え始めると気が気ではありません。無事に到着するまでいつも心配です。もしハイジャックとかされたら、ジャック・バウアーばりに頑張って来いとは言ってあるのだけれど。

てなわけで、明日は成田まで迎えに行ってきます。ちょっと不安。今までの発着は第二ターミナルでしたが、今回は行ったことの無い第一ターミナルなんだとかで。北ウィングとか言われてもどこだそれ、そんなの明菜だけにしてくれよって感じ。第二ターミナルへは5、6回迎えに行ったことがあって、でも必ず迷ってしまって、いつも逆にブランドンに見つけてもらう状態でした。大丈夫かなぁ。100%、大丈夫じゃないなぁ…。

べつに来なくてもいいよ、とは言われていたのだけれど。やっぱりね。

Love Is The Mystery.
(意味ねー。)

シアワセは、歩いて来ない。
だけど近くにあるんだよ。
ハリーのしっぽ Author:ハリー
だいたいを家の中で過ごす在宅ワーカー。都内在住の39歳。パートナーのブランドン(外国人/ヨーロッパ圏)との生活は、気付けば13年目に突入。地味に静かに暮らしています。

Chibi-log

2010年2月28日 17:21

もうすぐ春ですね。

仕事そっちのけ、確定申告も全くの手付かず状態のまま、徹夜してまで見入ったバンクーバー五輪もそろそろ閉会。毎回思う、「冬季五輪が終わったら、そろそろ春なんだなぁ」。
いろいろ落ち着いたら、またブログ始めてみようかな。

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↓あの曲がなんでこんなアレンジに!?と毎週流れるテーマ曲目当てに見てたわけだけど、もしかしてあれ、実は面白かったんじゃないか?と今にして思うドラマ。DVDになってないのね。そうなると、ますますもう一度見たくなる。若かったなぁ、メロリンQ。

幕末高校生(1993)

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